夙川美術研究所の杉浦先生【Vol.1】

1996年頃、高校生の頃、美大を受験しようと思った。受験のためには画塾に通ってデッサンの勉強にしないといけないという事を聞き、苦楽園にあった夙川美術研究所を尋ねたのをきっかけに杉浦祐二先生に絵を教わる事になった。

苦楽園駅前の白い小さなビルの二階にあって、少し暗い階段を登ると、白髪交じりの髪の毛が肩まで伸び、口髭を生やし、少女や天使の絵を描いているおじさんが杉浦祐二先生だった。その場所は今はアイリッシュパブになっている。

1998年頃に向かいの、1階が千鳥饅頭が入っているビルの3階に移転した。

杉浦先生は、いつもニコニコしながら僕達生徒と話をしてくれた。先生の知識量といったら凄くて、聞けば何でも答えてくれる人だった。

美大受験を諦めてからもたまに仕事帰りなどによく立ち寄ったりしては、よく話込んだ。

25歳の時に「働きながら、もう一回石膏デッサンをしたい」と言うと、快く受け入れてくれた。週一回、仕事の後に通うのが楽しみだった。デッサンが進まないくらいに、沢山と先生と喋った。

2006年のゴールデンウィーク後に滋賀県に転居を伴う転勤となり、夙川美術研究所も辞めざるを得なくなった。そこでお世話になったお礼として、先生の好きな赤ワインをプレゼントした。ありがとうと言って、お返しに本をいただいた。

これを最後に会う機会は無かった。というか、自分が会いに行かなかったというのが正しいかもしれない。と言うのも、夙川美術研究所が2008年頃に閉鎖になってしまい、その後は仁川の自宅近くで絵を教えていた為に足が遠くなってしまっていた。

2010年に仕事を辞めて滋賀県大津市から西宮市に帰った後も会いに行きたいなぁと頭の何処かで思っていながらも、延ばし々になっていた。

確か、数年前の年賀状に「体調が悪くて・・・」という記述があって気にはなっていた。

今年の2月に結婚したので、その報告も兼ねて5月頃に会いに行こうと、サイトで先生のアトリエの情報を集めていたら、お亡くなりになったという記事を見つけた。「なんてこったい!」急いで連絡をしてみたら、杉浦先生の奥さんが電話に出たので、詳細を聞くと、2012年末にお亡くなりになったという事実を聞いた時は、物事を先延ばしにしていたら、良いことなんてあんまり、無いんだなと痛感した。

杉浦夫人に事情を説明し、お邪魔で無ければ、是非一度、ご自宅にお伺いさせて頂けませんか?とお願いをしてみた。

すると、会った事もない僕のお願いに快く引き受けてくれた。

6月7日にお伺いをさせて頂く事になり、やっと先生に会えるんだという思いと遅すぎた行動の後悔が一度にやってきて、感慨深くなった。

4件のコメント


  1. 向井様
    初めまして。
    先生はいつも笑顔で面白い方でしたね。


  2. 初めまして。
    私も今から27年前ほどでしょうか、先生に美大受験の際に
    ご教授いただいた者です。
    お亡くなりになっていたとのこと…
    一弟子として今まで知らず生きて来たことに
    後悔を感じられずにはいられません。
    先生どうぞ安らかに…


  3. 染谷 陽一 様
    ブログを御覧頂き、誠にありがとうございます。
    返信が大変遅れまして、申し訳ありません。
    私は古時計の時代を知らないので、羨ましく思います。
    ご自宅ですが、下記URLを参考にしていただければと思います。
    よろしくお願いいたします。

    http://www12.plala.or.jp/shukugawa/


  4. こんにちは
    はじめまして。私は神戸市在住の染谷と申します。
    このたび ブログを拝見し、ご連絡しました。
    杉浦さんがお亡くなりになったとの事で驚いています。
    30数年前 杉浦さんの経営される「古時計」にはずいぶん通い
    ご本人とはあまりお話しをする機会も少なかったのですが
    奥様にはお世話になりました。本当に遅れてしまいましたが、
    お悔やみを申しあげたいと思い、もしさしつかえなければ
    ご自宅の電話番号をご存じでしたら、教えていただけません
    でしょうか? 無理なお願いですみません。

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